第1章(長期滞在編)

1.暮らし  2.食べ物とレストラン  3.ローマ在住日本人  4.やってみよう  5.失敗

6.出会い(前半) 7.出会い(広場) 8.出会い(後半) 9.留学準備 10.トラブル・おまけ!



第2章(留学編)

1.イタリアとの出会い 2.私が暮らしたアパート 3.お友達のお家 4.イタリアならでは 5.カッフェへのこだわり 6.ジェラートへのこだわり 7.ピザへのこだわり

8.リストランテとトラットリア
  9.語学学校@  10.語学学校A  11.失敗と発見色々  12.手作り料理  13.アルバイト  
14.交通事情@  15.交通事情A

16.友達との過ごし方 17.ポルタポルテーゼ 18.友達同士のイタリア語 19.ナヴォナ広場の夜 20.電話とインターネット 21.日本が恋しくなったら

22.水道&光熱事情  23.ハロウィン  24.クリスマス  25.お正月  26.警察事件  27.働く子供たち  28.イタリア男 29.留学を終えて


               


イタリアとの出会い

子どもの頃から、イタリアに興味がありました。それは、『ブーツの形の国』だから。きっかけはそれだけですが、学生時代に母親と初めて訪れ、すっかりはまってしまいました。

観光2日目、私はあえてツアーを離れ一人で街を歩くことを選びました。お店のショーケースを見ては、「品物も見せ方もなんて素敵だろう!」と感じました。一日中歩き回り、大きなスーパーマーケットで地元の人に混じり、食品や食器を買いました。




当時、私はフードコーディネーター養成学校で、フードデザインの勉強をしていました。イタリアの料理雑誌は日本のそれと比べ、コーディネートのセンスも、テーブルクロスや食器も、飾りつけ、ライトアップの仕方、斬新さ、写真の迫力も、比較にならない程すごくて圧倒されました。さすが世界の中でも食文化にこだわったイタリア!今まで見た物との明らかな違いに驚きました。

また、旅の間の食事はどれも最高で、店員の接客サービスも然り、私の知っていた日本のイタリア料理屋との明らかな差を見せつけられました。



そんなきっかけから、私のイタリアへの気持ちは膨れ上がり、「イタリアで生活し、マンマに家庭料理を教わり、イタリア語を話し、友達に囲まれ、イタリア文化にどっぷりと浸った人生ってどんなだろう?」と思うようになりました。

そうは言っても、どちらかというと
「外国人」=「宇宙人(と同じくらい遠い存在)」と思っていた私にとって、いざ決心を固める勇気もなければ、きっかけもありませんでした。

その後、私は
イタリア料理屋でコックとして働きました。忙しい日常。身体はクタクタで、ただ過ぎていく毎日を、虚しくやるせなく感じるようになりました。「新たな自分の世界を創りたい」「人生をかけて夢中になれることをまっすぐに追いたい」その答えとして選んだのが、「イタリアでの生活」でした。



2000年5月、私はついにローマにアパートを借りることができました。ところが、憧れの生活のスタートはあまりにもひどく、着いたその日に、住むはずだったトラステヴェレのアパートには別の人がいて、私は他のアパートに住むことになりました。

テルミニ駅のそばのアパートで、ロフト付のなかなかよい部屋でしたが、翌日家に戻ると、泥棒に入られていました。しばらくの間、私は大家さんの家に仮住まい。やっと空いたサンピエトロ駅前のアパートはひどいボロアパートで、何度も交渉し、最終的に落ち着いたのは、ナヴォーナ広場のすぐそばのアパートでした。

ナヴォーナ広場では連日連夜、大道芸人や音楽家、似顔絵を描く人、絵画を売る人、地元の人々、観光客で賑わいます。そのすぐそばでの生活は、夢のようでした。

ある日、
一人の大道芸人に話し掛けてみました。彼は手作りの指人形を巧みに操り、人形は小さな舞台で駆け回り、ダンスをします。その動きがとてもすばらしく、声をかけずにはいられなかったのです。すると、彼のファンである地元の若者も集まってきました。私たちはたどたどしい英語でコミュニケーションをとりました。とは言っても、伝えたいことが上手く伝えられず、私の英和辞典を代わる代わる回し、単語をつないで相手に伝えるという、根気のいるものでした。

でも誰もが飽きもせず、私とコミュニケーションを取ろうとしてくれました。イタリア人の気質でしょうか?諦めない、焦らない。分かるまで真剣に目を見て話をしてくれました。そして、私はこの広場に通い、彼らとも毎晩話をするようになりました。



ある夜、広場の友人と3人でバールへ行き、並んでカプチーノとイチゴのタルトを頼みました。タルトに早速フォークを指したその時、勢いあまってタルトが一切れ、ピョーンとカウンターの中へジャンプしたのです。店の人は気がつかず、私たち3人は大笑いしました。

その時、私の中で何かが急速に変わりました。私の中の「外国人」=「宇宙人」と言う考え方がはっきりと消えたのです。私たちは共通のネタで笑い、同じ時間に同じ場所を共有していました。そんな小さな出来事が、私にはとても大きな衝撃でした。そして思ったのです。
「イタリア語を勉強して、彼らともっと話し、知りたい。そして自分が思ったことを伝えたい。」

きっかけさえつかんだら、あとは何も要りませんでした。すべては、やる気と勢いです。
ローマの長期滞在可能なアパート探し、電話帳で語学学校を調べ、見学に行きました。

気がつけば、私のイタリア生活を支えてくれる仲間は、両手で数える程になっていました。そして日本へ帰国し、正式に
学生VISAを取得した後、再度このローマの地へと向かいました。



2000年9月から、私のイタリア留学は始まりました。留学には準備段階から様々な手続きが必要です。大使館に提出する書類の手配、ヴィザ取得、イタリアに着いてからも、アパートの手続き、入学手続き、滞在許可書の取得など。先に言っておきますが、ここはイタリア。何もかもがスムーズに行くはずはありません。

郵便物が届かない、と言うのは有名な話ですが、ひとつ手続きを行うにも、窓口により言うことはバラバラ。受付時間のはずなのにやっていない、なんてことはざら。周りの人に愚痴を言ったとしても、
「ITALIANOOOO!!!(イタリアだからね)」の一言で片付けられます。
(これ、イタリア人の口癖!)

最初にして、イタリアという国がどんな所なのか、身体で覚えていきました。そしてその印象は、今に至っても変わることはありません。恐るべしイタリア。



更に私の語学力のなさも手伝って、気が狂いそうでした。滞在許可書の取得は入国後8日以内に行わなければなりません。書類を読んでもさっぱり分からず、大家さんに相談すると「そんなの必要ないわ。」の一言。文房具屋で必要書類を購入し、そこに大家さんのサインも必要なはずなのですが・・・。結局、分からないと言っているうちに、期限を過ぎてしまいました。
(これが後に大惨事をもたらします。)


住まいは、中心街から地下鉄で15分の所にある大きなアパート(大型集合マンション)、私とドイツ人とイタリア人3人での共同生活です。各自部屋があり、キッチン、お風呂、トイレは共同。これで家賃は日本円で35,000円くらいです。





               

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