第1章(長期滞在編)

1.暮らし  2.食べ物とレストラン  3.ローマ在住日本人  4.やってみよう  5.失敗

6.出会い(前半) 7.出会い(広場) 8.出会い(後半) 9.留学準備 10.トラブル・おまけ!



第2章(留学編)

1.イタリアとの出会い 2.私が暮らしたアパート 3.お友達のお家 4.イタリアならでは 5.カッフェへのこだわり 6.ジェラートへのこだわり 7.ピザへのこだわり

8.リストランテとトラットリア
  9.語学学校@  10.語学学校A  11.失敗と発見色々  12.手作り料理  13.アルバイト  
14.交通事情@  15.交通事情A

16.友達との過ごし方 17.ポルタポルテーゼ 18.友達同士のイタリア語 19.ナヴォナ広場の夜BGM付♪ 20.電話とインターネット 21.日本が恋しくなったら

22.水道&光熱事情  23.ハロウィン  24.クリスマス  25.お正月  26.警察事件  27.働く子供たち  28.イタリア男 29.留学を終えて・・・BGM付♪



               


1つ目のイタリア語学学校

最初の時点での、私のイタリア語レベルをお伝えしておきましょう。
同年(2000年)5〜6月の滞在中は、なんと英語を使っていました。
イタリア人の友達との会話は、英語と、『イタリアガイドブック』文末の
ミニ辞典を指で指すか、ジェスチャー!w(°0°)w オォー

留学を決意し、NHKラジオイタリア語講座(1回20分、週5日)と、
1冊の基本文法テキストを2ヶ月間で丸暗記したのでした。





語学学校初日、仲良しのラウラが、まるで、私の保護者のようについて来てくれました。
緊張の面持ちで門をくぐり、校長先生にご挨拶。
用意されていたのは、
クラス分けの筆記テストでした。

学生時代からテストが大嫌いな私。
うわぁ・・・答案用紙見たの、何年ぶり?なんて呟きながら、解くこと30分。
その後、
面接
イタリア語での自己紹介、趣味、仕事、イタリア語を学ぶ理由などをイタリア語で話しました。

(とにかく単語と短い文章を箇条書きに読み上げた・・・みたいな感じでした。)

イタリアに来ることを決めてから2ヶ月間、明けても暮れても勉強した私は、
簡単な日常会話はできるようになっていましたが、
何と言っても駆け込みの独学なので、自信があるわけがありません。

しかし、クラス分けの結果を見てびっくり。
プリモ(初級)ではなく、
SECONDO(レベル2)のクラスになっていました。
これは私にとって小さな自信の反面、大きなプレッシャーとなりました。

そして、学校が始まり、私のイタリアでの生活は規則正しいものとなって行ったのでした。



ここで、私の一日を説明しましょう。
まず、朝8時頃起きて、パン食べ、前の日の復習。10時頃シャワ−を浴び、前日の授業をカセットテ−プに録音したものを聞きながら、のんびり支度します。11時半頃、近所のス−パ−に行って、水や朝ご飯のパンを買い、お昼頃、家を出ます。地下鉄で中心街に出て、散歩したり、インタ−ネットカフェに行ったり、買い物したり、広場のベンチで勉強したり、バ−ルでカフェを飲んだり、友達と遊んだりします。

学校は15時から18時。週5日。放課後は、クラスメ−トとバ−ルでおしゃべりし、広場か友達の家に行くか、友達と買い物したりします。家に帰るのは、22時〜23時。日記を書いて、復習し、夜中の1時〜2時頃寝ます。こんな毎日でした。


授業は、当然ですがイタリア語をイタリア語で教わります。これが本当に難しい。
子どもの頃は、誰もがこうやって言葉を覚えたんだ、と妙に感心してしまいます。

先生がジェスチャー付きで、黒板いっぱいに書かれた単語をひとつひとつ教えてくれます。
黒板に書く単語は、なぜか
すべて大文字「大文字の方がはっきりしていて見やすいから!」
だそうですが、単語は普通小文字で書きませんか〜?

(その内慣れてしまい、自分でもすべて大文字で書くようになってしまったけど・・・。)

私のクラスは少人数ですが、学校の廊下や休憩所では、
日本、韓国、中国、アメリカ、エジプト、フランス、ポーランド、イギリス、ドイツなどの
様々な人種が混ざり合い、
共通語としてイタリア語を使うのは、とても不思議な光景でした。

(留学中は、これが当たり前なのです。)



後ろの建物が学校です。


授業は1日3時間。前半は「文法」、休憩を挟んで後半は「会話」
途中の15分休憩では、皆、近くのBARにカフェを飲みに行きます。

バリスタ(カフェを入れてくれる人)が、私を見て、
「ナカ〜タ〜!!」と言うので、
適当にあしらうつもりで、
「あぁ、彼は私の友達だよ。」と言ったら、
私はそこで有名人になり、もうウソだと言えない状況になってしまいました。

(イタリア人にとって、日本人=サッカーの中田選手という印象が強いらしく、
 街や公園でも、しょっちゅう「ナカ〜タ〜!」と言われていました。)


以来BARに行くと、
「中田の友達が来たぞ。中田は元気か?」と聞かれ、困りました。
でもそのお陰で、サービスは良く、いつもおいしいカフェを飲ませてくれました。

「文法」の授業では、テキストに従って文法を学び、大量の例題を、順番に答えていきます。
毎日宿題が出るのですが、
答えを書く以前に、問題の意味が分からないので、
辞書をひいて、コツコツやるしかありません。

(これが、本当に大変なんです。うぅ〜〜〜辛い!時間がいくらあっても足らず・・・。)

私はもともと勉強好きではなく、夜は遊びに出掛けるので宿題が終わらず、
広場で友達に答えを書いてもらったり、BARの店員に答え直しをしてもらっていました。

「会話」の授業では、前日に議題を決め、それについて話せるよう、単語を調べておきます。

同じクラスの、イギリス人、ポーランド人の女の子は、「文法」は苦手でおとなしいのに、
「会話」になると、自分の意見をペラペラと流暢に発表するので、本当に尊敬してしまいます。
日本人は、
「文法が間違ってると恥しいから、話さない。」という人が多いですが、
まったく逆でした。何故だろう?



苦労した文法のテキスト。これは『前置詞』のページです(^_^;)


学校に通い出し、しばらくすると、授業がさっぱり分からなくなってきました。
週に5回だと、どんどん先に進んでしまうのです。
イタリア人に悩みを相談しても「PIANO PIANO!(もっと気楽に)」と言われるだけ。

(「PIANO PIANO!」はイタリア人の口癖です。様々な場面でよく使われます。)

もともと小心者の私。
テラスで他の生徒たちは楽しそうに話したり、食事したり、リラックスして過ごしていますが、
私は勇気がなくて、皆の会話に入れず、居心地悪すぎ。

月に1度のクラス替えのテストで、レベルは
TERZO(レベル3)と上がっていきます。
日中はアルバイトを始めたので、授業も夜18時からに変わり、周りも知らない子ばかりに・・・。

そして、とうとう授業について行けなくなりました。

私は、学生時代、特別デキル生徒ではなかったけど、落ちこぼれた経験もなかったので、
初めて味わう孤独感・・・。授業中、順番に差されても、私の所で止まってしまいます。
どうしよう・・・。

周りの生徒は、皆楽しそうに授業を受けています。
中には、授業中なのに
オレンジを剥いて食べているアメリカーナ!
先生に当てられたら
「手が汚れたので、洗ってきま〜す!」と教室を出て行ってしまったり・・・。

そんな中、大まじめな日本人生徒(私のコト)は、泣きそうな顔で、授業について行っていました。
先生は、私を哀れに思ったのか、放課後、
居残り授業をしてくださいました。┐(´ー`)┌
先生には、
「こんなに喋れるのに、なぜ文法が出来ないの?」と、
今までと反対の事を言われ、より複雑な気持ちになったのでした。




ある日の放課後、担任の先生に勇気を出して、自分の気持ちを話しました。
「授業が難しいから、下のクラスに行きたい。」と言うと、
ほかの先生もやってきて、3人で話し合い。

それまで、泣きたいのを我慢していたけれど、とうとう泣いてしまいました。(T_T)

実は、悩んでいる生徒は、私だけではありませんでした。
別のクラスの生徒でも、授業中全然喋らない子がいて、先生も困っているとの事。
困っているのは、皆同じ。それを深刻に考えるか、あっけらかんとしているか、の違いです。

結局、授業をもう少しゆっくり進めるとの事で、私は今のクラスで続けることになりました。
しかし、この頃から別の語学学校に変えようと考え始めていました。




               

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