第1章(長期滞在編)

1.暮らし  2.食べ物とレストラン  3.ローマ在住日本人  4.やってみよう  5.失敗

6.出会い(前半) 7.出会い(広場) 8.出会い(後半) 9.留学準備 10.トラブル・おまけ!



第2章(留学編)

1.イタリアとの出会い 2.私が暮らしたアパート 3.お友達のお家 4.イタリアならでは 5.カッフェへのこだわり 6.ジェラートへのこだわり 7.ピザへのこだわり

8.リストランテとトラットリア
  9.語学学校@  10.語学学校A  11.失敗と発見色々  12.手作り料理  13.アルバイト  
14.交通事情@  15.交通事情A

16.友達との過ごし方 17.ポルタポルテーゼ 18.友達同士のイタリア語 19.ナヴォナ広場の夜BGM付♪ 20.電話とインターネット 21.日本が恋しくなったら

22.水道&光熱事情  23.ハロウィン  24.クリスマス  25.お正月  26.警察事件  27.働く子供たち  28.イタリア男 29.留学を終えて・・・BGM付♪


               


7.出会い(ナヴォナ広場)

イタリアの夏の夜はとても長いです。夕食の時間が20〜21時(日本に比べると遅い)、
その後、広場で友達と会ったり、大道芸人や楽器を演奏している人などを見て楽しみます。
21時位まで空は明るく、段々暗くなります。私は毎晩、この広場で夜中まで騒いでいました。

    

 広場にて。未来の親友たちとの出会い

ある日、広場の
大道芸人によるショーで、とても興味深いものと出会いました。
手作りの指人形を巧みに操り、人形は小さな舞台で駆け回り、ダンスをします。
ショーの中で、曲の間奏に人形はササッと変身し、さっきまで女の子だったのに、
チャーリーチャップリンになったり、マイケルジャクソンになったりします。
その動きがとてもすばらしく、声をかけずにはいられませんでした。
すると、彼のファンである地元の若者も集まってきました。
私たちはたどたどしい英語でコミュニケーションをとりました。

これが、広場の親友たちとの出会いでした。大道芸をしていたのは、
シチリア出身のマルセル

(この方、イタリアではとても有名なのでご存知の方も多いのでは?)

私と同い年
ラウラ。幼稚園の先生クラウディア、そしてひょうきんなイタリア男ジャンニ
会話は、私の英和辞典を代わる代わる回し、単語をつないで相手に伝えるという、根気の
いるものでした。でも誰もが飽きもせず、私とコミュニケーションを取ろうとしてくれました。
分かるまで真剣に目を見て話をしてくれました。

この日から、私達はいつもここで集まり、次第に私達の信頼関係は深まっていくのでした。




 広場にて。夢は国際線スチュワーデス!

この広場でたまたま出会った
サラも、一生の友達の一人となりました。
出会いは、広場でタトゥ(彫るのではなく、特殊なペンで、皮膚に絵や文字を描く)
をやってもらっていたら、サラもタトゥの順番待ちをしていたのでした。

サラは学校の友達と大勢で遊びに来ていて、私に
「イタリア語で『チンチ〜ン』は『乾杯』の意味だけど、日本語では○○?ほんと〜?」
と聞いてきたのです。それが、記念すべき初対面の会話・・・(苦笑!)
彼女はとても明るい女の子で、
「将来アリタリア航空で働きたい。」と言っていました。

(私達は、その後ずっとお付き合いしていて、彼女は2005年の6月、めでたく
 アリタリア航空に就職。お陰で、私達は東京にて再会することができました。)


  

 ローマは俺の物!イタリアのジャイアン?!

仲間の一人に、ジャンニ。
彼は、我らのムードメーカー。
私達がひとつにまとまり、毎晩大騒ぎして楽しめたのも、彼のお陰かもしれません。
とにかく彼は、
日本人が想像する「イタリア男」の代名詞のような人でした。
常に明るくて、人を笑わせようとばかり考えていて、頭の回転が良く、行動力がある。
私たちを色々な場所に連れて行ってくれました。

ある日、サンタンジェロ城の近くの公園でお祭りをやっていました。
日本のお祭りの様に食べ物の屋台、的屋がずらりと並ぶ・・・と言う感じではないけど、
設置された白いテントが続き、洋書の古本屋、イタリアの手作り小物の店、
衣料品店、アクセサリー店、バール、ジェラテリアなどがありました。

そんな中、ジャンニが
「おい、ミル!」と呼んで驚いたのは、『ジャパニーズ ヨガ』
イタリア人の指圧師が、マッサージしたり、テントの中で、
イタリア人が何十人も寝そべって、色んなポーズを取っていました。
私達が見ていると、
「今、混んでるから予約しないとできないよ!」と言われました。
ヨガって、元は日本のものだっけ?そんなに人気があるのね〜と感心してしまいました。

ジャンニは、私達を車に乗せ、ローマ市内(郊外も)のあちこちに連れて行ってくれました。
私は、英語ならちょっとだけわかります。ジャンニは英語が苦手で話せません。
彼は、単語だけで私を楽しませようとしてくれました。

「ローマは俺の街だ!!あの城(サンタンジェロ城)も川(テヴェレ川)も、
そこら辺の車も、船も、あそこの公園(ボルゲーゼ公園)も、全部俺の物だ!」

と大げさなジェスチャー付きで言います。
「It's my castle!! my river!! my car!! my ship!! my park!!」
とだんだん調子に乗って来ました。聞いている私達はそのたびに、大笑いです。

車で通った、ローマの有名な観光名所
『ヴェネツィア宮殿』を指差し、
「It's my office!!」(「あれは俺の会社だ!」)と言い、
『トレヴィの泉』のことは、「It's my terme!!」(「俺の温泉!」

(どうやら、温泉を英語で言えなかったらしい。)

『サンピエトロ寺院』のことは、「It' my house!!」(「俺の家だ!」)
『ナヴォナ広場』
のことは、「It's my garden!!」 (「俺の庭だ!)」
『パンテオン』
のことは、「It' my second office!!」

(「俺の2つ目の会社だ!」ちょっとネタ切れだったのかな?)


しまいには、走行中の車の左窓を指差し、
「It's my friend!!」(「俺の友達だ!」)
と言うので、何かと思ったら、それは
『真実の口』でした。

これには、もう大爆笑でした。
また、ジャンニが日本語を覚えたがるので、
「バカヤロ〜!」
「何よ!」と「何だよ!」(これらは女と男で使い分ける、と説明した。)を教えてあげました。

すると、広場で日本人を見るたび、私だけに聞こえるように、「バカヤロ〜!」とふざけていました。
あーあ、彼には教えてはいけない単語だった・・・と思ったのは、時すでに遅しでした。

    

 広場でソプラノサクソフォンを弾くイギリス人

私と友達が毎晩集まる、ナヴォナ広場で、ソプラノサクソフォンを演奏しているのが
イギリス黒人のアンディでした。いつも決まった場所で、持参の音響機器で伴奏をかけ、
それに合わせて、ソプラノサクソフォンを演奏しています。

楽器ケースを前に置き、通りがかりの人はコインや1000リラ札(50円程度)を入れていきます。
私は、彼の大ファンになってしまいました。彼が奏でる曲は、広場でライトアップされた噴水や、
石畳、絶え間なく流れる噴水の音とマッチしていて、とても素晴らしかったのです!

ある日、演奏が終わった後、思い切って話しかけてみました。
「すごく気に入った。」と伝えると、とても喜んでくれました。
「自作のCDがあるから、持ってきてあげる。」と言われました。
その数日後、CDが何らかの事情で
(私が英語を聞き取れず、詳しいことは不明)
CDを持って来れなくなった、と言われました。
でも、
「その代わりに、練習中に取ったデモテープをあげるよ。」と、
世界にひとつのオリジナルテープをいただきました。

アパートに持ち帰り、部屋のラジカセで聞いてみると、練習中の
会話なども入っていて、とても味のあるテープでした。


演奏の合間に、私達は色々なことを話しました。アンディが指鳴らしで弾くバッハの
曲は私もピアノで習った曲でした。またある時は、学校のことで悩んでいた私に、
国立の外国人向け語学学校を紹介してくれ、私はそこへ通うこととなりました。



 広場のバールで働く、日本人の男の子

私が仲間達と、いつも行くバールで、日本人の男性が働いているのを知りました。
バリスタ(カウンターでカフェを入れてくれる人)が、
「うちにも日本人がいるよ!」
と、教えてくれたのです。私達が集まる夜ではなく、日中働いているとのことでした。

ある日、日中行ってみると、日本人の男性がイタリア語でオーダーを取っていました。
すごいっ!彼はとても親切に私の話を聞いてくれました。
彼が通っていた
語学学校に見学に連れて行ってもらいました。

お陰で私は、当時自分とは無縁だと思っていた語学学校に足を踏み入れ、
授業風景を見学し、留学への野望が一段と膨らみました。

その後も、大変お世話になりました。VISA取得の為、帰国した私に、メールでも色々
教えてくれて、私は安心して留学の準備をすることができました。ありがとう!



 広場で出会った友達のお家に訪問

ある夜散歩していたら、広場で日本人の女の子と知り合いました。
なんと、イタリア人の彼がいて、同棲しているそう。

久しぶりに日本語を使い、止まらないくらいしゃべりまくりました。
やっぱり言語は大事。私は日本語以外の言葉は、基礎会話も
必要最低限しか話せなかったので、ストレスが溜まっていたのです。


ある日、お家に招待してくれました。
待ち合わせのヴェネツィア広場で待っていると、彼らは車で現れました。
「ローマの街で車に乗れるなんて夢のよう!」と単純に喜ぶ私。
気分はまるで『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンでした。

(オードリーは車じゃなくて、バイクだったね。)



家で、『ツナのトマトソーススパゲッティ』『トマトとモッツアレラチーズのサラダ』
そして、さっき車を停めて買ってくれた、
シュークリームとエクレアを食べました。

ワインを勧められたけど、
「私、飲めないから。」と断ったら、ミネラルウォーターで割って
くれました。
「ワインに水?」とびっくりしたけど、イタリアでは当たり前なんですって!

テレビでは
「ミスイタリアコンテスト」をやっていて、
皆で
「この人がきれい!」「あの人がきれい!」と言い合ったりしました。

(イタリア人の男性2人がテレビを見る目は、真剣だった・・・。)

      

 広場にて。シチリア島の男の子

イタリアの夏の夜は長い。20時位まで空が明るく、夕方並み。
そのため、家に帰るのはいつも深夜を回っていました。広場のあちこちで、
大道芸人のショーを見て、周りの人と話し、友達の輪は広がっていきました。
そんな中で、イタリア人の男の子、
アドリアーノと出会いました。
彼は、シチリア島で美容師をやっていて、ヴァカンスでローマに来ていました。

(イタリア人のヴァカンスは長く、1ヶ月が平均。うらやましい・・。)

ある夜のことでした。アドリアーノの友人がギターを弾き、私達は近くで聴いていました。
が、思うように観客が集まらず(楽器ケースの中のお金が思うようにたまらなかった)、
パンテオン広場へ移動することに。

私はアパートからあまり離れると不安。帰りは送ってもらうことにしました。
「夜、女の子が歩いていたら、危険だよね。」と言うと、街灯の横を指差して、
「ローマはカメラが沢山あって、防犯しているから大丈夫だよ。」とのこと。
よく見ると、街の至る所に、
防犯カメラが設置してありました。ビックリ!

私達は、しゃがんで彼の友達のギターを聴きながら、しゃべったり、近くのバールで
カフェを飲んだりしました。アドリアーノに限らず、バールでカフェを頼む時、
男女で店に入ったら、たいてい男性が2人分払います。
それはごく自然で、女性は悪いと思う必要もないし、お返しする必要もないそう。
また、バールではカフェをテイクアウトも出来ます。友達の分も、買っていました。
イタリアの人付き合いの一面を見た気がしました。

(アドリアーノに限らず、多くの友達がそうしていた。)

彼らはとても親切で、私の話も丁寧に聞いてくれました。
日本人男性にない(人による?)サービス精神で、女性に対しとても丁寧です。

(それまでイタリアの男性って軽いイメージだったけど、この出会いで考え方が変わりました。)

金曜の夜、広場は盛り上がります。居酒屋やクラブ(ディスコテーカ)に行って
…とお金をかけて遊ぶ時もあるけど、
広場で歌ったりしゃべったり、ビールを持って来て仲間と輪になって飲んだり、
そんな風にして楽しんでいる人も大勢います。
夜中の2時ごろまで、広場は活気が衰えません。本当に羨ましいと思いました!







               

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